Y’s Publishing発行の便利帳シリーズは、海外に住む日本人が快適なアメリカンライフを送れるよう、そのために必要な知識、ノウハウをあらゆるカテゴリーから徹底的に紹介しています。

 

便利帳は、旅行ガイドブックでは絶対にカバーできない”住む人のための情報”が満載です。現在、ニューヨーク、ニュージャージー、コネティカット、シカゴ、デトロイト、ボストン、ワシントンDC、バージニア、アトランタ、アラバマ、テネシー、ダラス、ヒューストン、オハイオ、インディアナ、ケンタッキーの17都市、メキシコの7都市、さらにインドの6都市をカバーしています。日本における購買数も年々増加しており、本誌と電子書籍は、紀伊國屋書店、八重洲ブックセンター、成田空港内の書店のほか、amazon.co.jp / amazon.comで飛躍的に販売数を伸ばしています。
 
東京本社は、「帰国便利帳」(年2回 / 5月、10月発行)の取材、編集、広告営業を主業務とし、世界13カ国、41都市に無料配布を行っています。その他、日本全国の私学、中・高・大によるオンライン学校説明会(年2回 / 6月、10月)をZoom Webinerを使って開催しています。今後は海外子女教育に特化したコンサルティング業務も手掛けてまいります。

会社概要

ニューヨーク本社 Y’s Publishing Co Inc.
228 East 45th St. #1802
New York, NY 10017
Tel:212-682-9360
東京本社
ワイズ パブリッシング ジャパン株式会社
〒104-0061  東京都中央区銀座7-15-3  第5安田ビル7階
Tel: 03-5148-0450
URL

コーポレートサイト
www.us-benricho.com
ニューヨーク便利帳サイト
www.ny-benricho.com
帰国便利帳サイト
www.kikoku-benricho.com

設立 1995年3月1日
資本金 $500,000
代表取締役社長 吉田 仁 (代表挨拶はこちら
事業内容

1. 出版事業
アメリカ17都市+メキシコ4都市+インド6都市の「便利帳シーリーズ」の発行
NY近郊の旅 ”週末ドライブガイド”ぶらっと”
アメリカに10年以上住む人のための、ちょっと、ディープな便利帳
子ども便利帳
サマーキャンプ便利帳
ニューヨーク便利帳MAP
帰国便利帳

2. 印刷事業
名刺、ポスター、ブローショア、会社案内、挨拶状、翻訳、各種カード

3. インターネット事業
ニューヨーク便利帳サイトwww.ny-benricho.comの企画、運営、管理。
バナー広告営業、制作、オンラインショッピング。

4.グローバル・キャリア事業
日本在住の中学3年生〜大学2年生を対象に大手旅行代理店と提携し「グローバル・キャリア・プログラムin NY」と題して、5泊7日でニューヨークのコロンビア大学、国連、日米企業数社を訪問。語学力の必要性、グローバル企業の考え方を子どもたち自ら学びます。

Y’s Publishing Groupの歩み


1995年3月設立ーY’s Publishing Co Inc.

不動の年刊誌「ニューヨーク便利帳」の版権を創刊者から買収。その後、便利帳をシリーズ化。現在は30種類の冊子と電子版を発行している。

2003年9月設立ーDaily World Press,Inc.

日刊無料紙「Daily SUN NY」を月〜土、全44ページにて発行。
サンケイスポーツ、共同通信社との特約新聞としてニューヨーク近郊の日本食レストラン、食料品店、美容室、学校、学習塾、企業、約300カ所に無料設置。2010年より月・水・金、週3日の発行に変更。
現在はオンラインの発行に切り替え、月〜金のオンライン日刊媒体として毎日18〜24ページでアプリとメルマガで情報提供している。
ー2017年、同会社を売却。

2005年7月設立ーWeekly Business News Corp

30年以上の歴史のある週刊紙「ビジネスニュース」を全オーナーから媒体を引き継ぐことに。時事通信、AP伝から配信を受け、日米のビジネスに特化した内容でコアなファンが多い。
ー2010年、同会社を元スタッフに譲渡。

2007年9月設立ーワイズ・パブリッシング・ジャパン 株式会社

海外在住の帰国子女に焦点を当てた隔月刊誌「帰国便利帳」を創刊。2009年より年2回(5月、10月)発行に切り替え、現在は世界13カ国、41都市に無料配布をしています。web版は本誌に出ていない情報も随時掲載。

2012年9月設立ーY’s アカデミー

北米、中南米在住の駐在員の子弟、子女向けにオンライン学習塾を展開。対象は小学3年生〜高校3年生。塾生は世界中に点在しており、先生1人に対して生徒5人の授業を行っていたが、各国の回線トラブルにより2015年よりオンライン個別学習塾として先生一人に対し生徒一人の個別対応に変更しています。
ー2020年、同事業を大手学習塾に移管

2024年4月設立ーY’s Consultants LLC

米国進出企業の新規立ち上げ、コンサルティング業務全般。
企業買収、不動産売買、会計士及び弁護士の紹介

代表挨拶

心から感謝を込めて ~「便利帳シリーズ」と共に~

弊社Y’s Publishing Co., Inc.は、1995年3月1日創業。ニューヨー便利帳の創刊は1977年6月、つまり私は「ニューヨーク便利帳」の創刊者ではありません。私にとっての創刊号は第8版。全てを踏襲する約束で創刊者から便利帳の版権を買い、スタッフ4人でスタートしました。小さな工夫と努力を積み重ねた結果が、長きに渡り継続できた証であり、小さな社会貢献の一役を担えたことは私自身の何よりの喜びです。正直、「ニューヨーク便利帳」って凄い本だな〜と自分でも思います。ひとえに読者の皆様、広告スポンサーの皆様、そして便利帳を愛する全ての関係各位にこの場をお借りし、心より御礼申し上げます。

President & CEO     吉田 仁

ceo

心から感謝を込めて ~「便利帳シリーズ」と共に~

弊社Y’s Publishing Co., Inc.は、1995年3月1日創業。ニューヨー便利帳の創刊は1977年6月、つまり私は「ニューヨーク便利帳」の創刊者ではありません。私にとっての創刊号は第8版。全てを踏襲する約束で創刊者から便利帳の版権を買い、スタッフ4人でスタートしました。小さな工夫と努力を積み重ねた結果が、長きに渡り継続できた証であり、小さな社会貢献の一役を担えたことは私自身の何よりの喜びです。正直、「ニューヨーク便利帳」って凄い本だな〜と自分でも思います。ひとえに読者の皆様、広告スポンサーの皆様、そして便利帳を愛する全ての関係各位にこの場をお借りし、心より御礼申し上げます。

President & CEO     吉田 仁

ニューヨーク便利帳との出会い

 1977年の創刊当時、マンハッタンにある日系企業と言えば、大手商社か銀行、サービス業では五番街に高島屋デパートがあったくらい、日本レストランも数十軒しかなかったらしい。それでも駐在員家族が年々増えていくなか、必然的に日本語媒体が出現する。私が聞いている話では、ほぼ同時期にロサンゼルスで「US Japan Business News」、ニューヨークで「OCS News」という週刊紙が相次いで創刊、80年代に入ると「エコノミック・ワールド」「イエローページJapan」「読売アメリカ」「海外駐在」「Come to America」等々、雨後の筍の如く、日本語媒体の乱立が始まる。

 80年代のアメリカの景気は決して良くはなかったが、当時の日本はバブル経済に踊り、アメリカとの貿易摩擦で問題は山積しながらも90年代前半迄の日本企業によるアメリカ進出は凄まじかった。その時代の駐在員家族のバイブルが「ニューヨーク便利帳」であったことは言うまでもない。

 渡米前の不安、心配事を挙げたらキリが無い。ニューヨークの何処に住む?日本食が買えるお店はある?子どもの学校は何処にする?銀行口座はどうやって開く?ソーシャル・セキュリティー・ナンバーって何?自動車免許の取り方は?英語学校は何処が良い?日本語が通じる医者はいる?アメリカの薬は飲んで大丈夫?地下鉄は危なくない?。。。今のようにインターネットなどない時代。誰もが知りたい、聞きたい、ニューヨークのあらゆる情報を網羅し、創刊当時は不定期ながら3年に1度のペースで発刊し続けた「ニューヨーク便利帳」。

 現発行人の私がニューヨークを初めて訪れた1989年、この便利帳を目にしたのは忘れもしない、当時ロックフェラーセンターにあった紀伊國屋書店の入口。一番目立つ店頭に10段重ね、トグロ巻きに置かれていた。後にも先にも1冊の本をあそこまで特別扱いした商品など見たことがない。当時の支配人によると、この1店舗だけで1万5千冊を売ったらしい。凄い本である。7版目の便利帳だった。

 私自身、建築家を夢見て1988年に渡米。いろいろなアルバイトをしながら車で全米を回り、1年間は定住せず、ホームレス状態でニューヨークに流れ着いた。観光ビザで潜り込み、英語もろくに喋れず、建築家としての経験など毛頭ない。そんな私に仕事などあるはずもなく、夢叶わなければ直に帰国するぐらいの、今思えば軽い気持ちで渡米したものの、やはり悔しかった。もう一度、ニューヨークで挑戦しよう。そう思い立ち職探しに情報誌でも買おうと、立ち寄ったのが紀伊國屋書店だった。そこで、その凄い「ニューヨーク便利帳」と出会う。店頭価格25ドル。当時の為替が1ドル=160円だったから結構高い。職探しのためになけなしのお金で購入した。先にも書いたが、80年代後半のニューヨークの景気、治安は決して良くはなく、むしろ危なかった。自動車、家電メーカーとの貿易摩擦、三菱地所によるロックフェラービルの買収、エンパイヤーステートビルも然り、マンハッタンのランドマークを日本企業が買い漁っていた時代。デマも横行していた。地下鉄で日本語を喋ると銃で撃たれる、そんな噂まで飛び交っていたのだ。

 当時、レゴ・パークの地下にあった借家に「ニューヨーク便利帳」を大事に持ち帰り、早速、職探し。目次に“日本語が通じる建築事務所”という見出しがあった。片っ端から連絡したが、すぐには仕事は見つからない。電話が駄目なら直接出向いて面接してもらおうと、巻末の企業リストをコピーして順番に企業訪問を繰り返した。数日後、ソーホーにあった設計事務所の社長から紹介を受け、小さな工務店に職が決まった。便利帳のお陰である。さらに幸運は続く。

 その2ヵ月後に応募総数300万人中、日本人枠60人。なんと5万人に1人の確率で、アメリカ永住権、第1回目の宝くじ抽選(OP-1)に当選した。渡米1年足らずで永住権を手にしたことで建築家になりたい夢はさらに広がったが、縁とは不思議なものである。実家が印刷、紙器業を営んでいたこともあり、その後、建築家とは真逆の出版社にお世話になることになり、約5年間、営業マンとして懸命に働いた。そして29歳の時に独立を決意する。「ニューヨーク便利帳」の創刊者から版権を譲渡しても良いという話があり、一悶着あった末、1995年3月にY’s Publishing Co., Inc.を設立、念願の起業を果たす。そして、私自身の創刊号となる「ニューヨーク便利帳vol.8」は同年11月に完成する。一読者だった私が発行人となり紀伊國屋書店の店頭に6年前と同じ、10段重ねのトグロ巻き、神々しく飾られている姿を目にした時は、感謝で涙が止まらなかった。

電子書籍、WEBサイトもスタート!”紙の復権”は我が社のスローガン

 
あれから20余年。「ニューヨーク便利帳」は版を重ねるごとに全てにボリュームUP、今なお健在である。
憧れの街、ニューヨークが存在する限り「ニューヨーク便利帳」は必ず生き残る。8年前に「電子版・ニューヨーク便利帳」
3年前に「WEB版・ニューヨーク便利帳」をスタートした。SNSを駆使して確実に読者、ユーザーは増えている。
ここ最近は在住者だけでなく、旅行者、出張者をカバーできたことが誠に大きい。
 
先にも述べた通り、私は「ニューヨーク便利帳」の創刊者ではない。ただ私のアメリカ生活の原点は間違いなく「ニューヨーク便利帳」である。
今や70年代生まれのアメリカ発、日本語媒体の生き残りは「ニューヨーク便利帳」ただ一誌のみ。だから大事に育てたい、絶対に無くしたくない、まだまだ成長させたいのだ。それが振り返る25年の私自身の最大の誇りでもある。
 
 
2020年3月以降、Covid19の世界的な感染拡大で何もかもが一変した。過去には2001年9月11日の大惨事、2008年10月のリーマンショック等々
いくつもの難題を乗り越えて今がある。但し、今回のCovid19は過去に例を見ないほど人間社会に大打撃を与え、今尚、不安な生活が続いている。
何とも恐ろしいウィルスだ。一刻も早いワクチン開発、投与を期待している。
 

最後に、今後もいろいろな事業に挑戦したい、この一言に尽きる。継続は力なのだ。

私自身、小さな事業を幾度も失敗しながら、何とか25年間潰れずにやってこれたのは、大事なお客様からの信用と根性でしかない。世間が羨む
成長産業には決して手を出さず、常に隙間産業を追いかける。それだけは、これからも変わらない。便利帳シリーズのお陰で人間ネットワークは
私の想像以上に拡大した。正に積み上げてきた信用である。そのいただいた信用を今後は教育事業に生かしたい。意義ある会社を5社、10社と拡大
させていこう。時代は変われど、小さな社会貢献の積み重ねが、必ずやアメリカンドリームに繋がることを私は信じている。